ベルギーとドイツの国境駅。雪の中、ぼくらが乗ったドイツ行きの列車がゆっくりと停まった。数人のドイツ人国境警備隊が乗り込んできた。「やばい!」と思った。大柄なドイツ人隊員がぼくの前に立ち、「パスポートを見せろ」と言った。

ぼくは、ゆっくりとコートの内ポケットからパスポートを取り出し、男に差し出した。心の動揺を隠すため、相手の目をじっと見つめ、首を少し傾げた。男のやや緑がかったダークブルー瞳はぼくに威圧感を与えた。男はぼくのパスポートを受け取ると、素早い動作で中を広げてパラパラとページをめくった。それはたった数秒のことだったが、とても長い時間に感じた。

男はぼくのほうに向き直り、口許に微かな笑みを浮かべながら低い声で言った。

「ヤパーナー(日本人)か。よい旅を。ダンケ」

隣に座っていたNもパスポートを差し出したが、男はほとんど形式的にチェックしただけだった。

やった、助かった! ぼくは大きくため息をついた。しばらくすると警備隊員たちは列車を降りていき、ゆっくりと列車が動き始めた。ぼくらは無事ドイツに入国できたのだ。車窓の外に広がる大雪原。国境を越えても風景はなにも変わらない。



ここで、なぜぼくが極寒のドイツに足を踏み入れたのか、なぜ国境警備隊に捕まるかもしれない、と思ったのか少し説明しておく必要があるだろう。



ぼくは、前年(1986年)の9月初頭にひとり渡仏し、パリに住み始めた。いわゆる遊学である。当時、ぼくは日本の大学で仏文科の学生だったが、文学青年ならば若いうちに一度はパリ遊学すべし、という慣例にならってフランス行きを決めたのだった。いってみれば永井荷風気取りである。

初めて訪れた初秋のパリ。空はどこまでも青く透きとおり、太陽は燦々と輝き、空気は冷たく凛と張りつめていた。やがて本格的な秋になるとリュクサンブール公園の枯葉が夕陽に照らされて、黄金色に輝いた。誰かの小説に書かれていた通り、黄色なんてもんじゃない。ほんとうに神々しいくらいに輝く金色なのだ。


ぼくは生まれて初めて住む異国での日々を満喫していた。

しかしある日を境に、パリの街が物騒なことになりはじめた。イスラム過激主義者による連続爆破テロである。街のあちこちでところかまわず大規模な爆破事件が起きた。街には自動小銃とサブマシンガンを手に完全武装した国家警察隊員(または国家憲兵隊治安介入部隊か?)があふれ、メトロの改札には必ず二人の武装警官が立っていて、外国人とみるやいきなり「carte d'identitéIDカード)を見せろ」と言われた。銀行の爆破が多かったせいか、銀行にお金をおろしに入るときなどは、警備員にすべての所持品をチェックされ、さらに全身を磁気センサーのようなものでくまなく調べられた。驚いたのはマクドナルドに入店する際にも、同様の身体チェックをされたことだった。マックへ入る老若男女ひとり一人の全身を厳重チェックしている様子はなんだか異常な光景であった。



そうこうしているうちにクリスマスになり、ぼくはヨーロッパを放浪する旅に出発したのだった。目的地はなく、ただ風の吹くまま気の向くまま、ヨーロッパをブラブラしようと思っていた。


「ぼくは」と書いたが、最初は一人で旅する予定だった。放浪の旅なんだから、一人に決まっている。孤独と自由を思う存分楽しみ、そして詩人になれる一人旅は若者の特権である。

しかし、ある女が一緒に行きたいと言った。Nである。ぼくは随分とそれは無理だと説得したが、最後には折れて承諾してしまった。ああ、女連れの旅なんてカッコわるくてしょうがねえや。と心の中でつぶやきながら、ぼくらはクリスマスの夜をパリで過ごし、翌日旅立ったのだった。


この旅にはさらに誤算が生じた。連続爆破テロの影響で、フランスの出入国に関する法律が、一夜にして変わってしまったのである。

フランスを出国し、また戻ってくる(再入国)ことにリスクが伴うことになった。しかしぼくらは、後先のことは考えず旅立った。その後、そのときの悪い予感が的中するとは思いもせずに。





つづく