ぼくはNとともにクリスマス明けのパリを後にした。自由と孤独に浸る放浪の旅になるはずが、期せずして女連れの旅になってしまったことは、ぼくの心を憂鬱にした。ドーバー海峡に面した港町カレーに向かう夜行バスに揺られながら心の中でつぶやいた。

「これじゃあ、まるで観光客じゃないか」

 

 ロンドンに着いたぼくらは、ヴィクトリア・ステーション近くの、こじんまりとしたクラシカルな雰囲気のホテルにチェックインした。そして、恐れていた通りぼくらは翌日から完全な日本人ツーリストと化した。

タワーブリッジ、ロンドンタワー、シティ、ウェストミンスター寺院、セントポール大聖堂、バッキンガム宮殿、ノミの市、有名なブティックやロンドンパブへ出かけ、バレエの舞台を観たり大英博物館へ行ったりした。

さらに、バスツアーでオックスフォード、バース、ストーン・ヘンジ、シェイクスピアの生家があるストラトフォード・アポン・エイヴォン、へ。こうしてあっという間に1週間が過ぎ、ぼくらはロンドンで新しい年を迎えた。

 

 ぼくはNに言った。


「もう、パリに帰ろう」

 ロンドンで予想外の散財をしてしまい、旅の資金が残り少なくなっていたし、ぼくはもうこの旅に辟易していた。一刻も早くパリに帰りたかった。

 

しかし、ぼくらはドーバー海峡を渡り、ベルギーを経由してドイツ国境まで来てしまった。またしてもNの、「どうしてもドイツを一目見てから帰りたい」という主張に押し切られてしまったのだ。なぜNがそこまでドイツ行きを切望したのかは、今となってはよくわからない。



ベルギーとドイツの国境駅で国境警備隊が列車に乗り込んできたとき一瞬マズい、と思ったのは、単にフランス出国時のぼくのパスポートに押された出国スタンプの日付が、法律で定められた滞在期間を微妙に超過していたからだった。しかし、よくよく考えてみれば、第3国つまりドイツにとって、自国に入国する外国人が他国で不法滞在していようがいまいが、そんなことはどうでも良いことなのだ。


 国境を舞台にした緊迫感あふれるシーンをドラマチックに描くためには、本来なら、「実はある国際犯罪に手を染めていてインターポールに指名手配されていた」、などといったストーリー展開が望ましいのであろうが、賢明な読者諸君ならこのような多少スベり気味のオチが持つある種奥深い世界観、妙味をご理解いただけるものと思う。


 さて、とにかくぼくとNは極寒のドイツへ辿りついた。辿りついた、というか、来てしまった。もう後戻りはできない。

ぼくらは夜8時頃、ドイツの首都ボンの駅に着いた。
 事前にマルク紙幣に換金していなかったので、英国ポンド紙幣と多少のフラン紙幣を手にして何軒かのホテルを回ったが、マルク紙幣でないとダメだと言われた。もうこの時間では、通貨換金施設は全て閉まっている。寒い。腹が減った。もう野宿でもするしかないか、と諦めかけていた時、一軒のホテルがポンドでもOKだと言ってくれた。


 ああ、野宿せずにすんだ。ぼくらはそのホテルにチェックインした。疲れた。そして安堵感。フロントにビールをオーダーした。乾杯した。この時のドイツビールはこれまでの人生で3本の指に入るくらい最高に美味いビールだった。


 しかし、ほっとしたのも束の間。翌日から、二人は予想外の展開へ、最悪の事態に向かって一気に転げ落ちていくのであった。


つづく