ぼくらは西ドイツの首都ボンの駅近くにある安ホテルにチェックインした。そしてその晩は二人とも疲れ果て、ぐっすりと眠った。




翌朝、ホテルで軽い朝食を済ませたぼくらは、外に出て1月の冷えきった空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

とりあえず市内を散策してみよう、ということになり、あてどなく初めて訪れるこの街をブラブラと歩いてみた。



駅前広場に行くと、ベートーヴェンの銅像がポツンとたっていた。

「そうか、ベートーヴェンは今から約200年前、この街で生まれたのだ」

 ぼくはベートーヴェンはあまり好きではなかったので、特にこれといった感慨もなかった。これがぼくの好きなバッハの銅像だったら少しは感動したかもしれないが。

 

 ボンは狭い街だった。「ここが本当にヨーロッパの大国の首都なのだろうか」と気抜けするほど、小さく、静かで、これといって何もない閑散とした感じの街だった。

 ただ、悠久の歴史を経て何層にも積み重ねられた重厚で重苦しい空気だけがそこにあった。

ヨーロッパの街の多くが、様々な人種や宗教や、それらのぶつかり合いによって生まれた戦いや殺し合い、憎しみ、悲しみといった人間の業というか怨念のようなものが空気の中に浸み込んでしまっているような感じを受ける。

これは、同じく長い歴史を持つ日本の街では感じられない、独特の空気の臭いと重さだ。




ぼくとNはボンの街を小一時間散策した後ホテルへ帰り、一息ついた。

「さて、そろそろ帰り支度をしようか」

ホテルの窓から見える教会の赤い屋根をみつめながらぼくが呟くと、Nは、

「そうしましょう。この街、何も面白いものがないわ」

と無機質な声で答えた。

どうやら彼女にとってボンは、パリのような華やかさもなければ、ロンドンのような刺激的なものもない、何の意味も持たない街であるらしい。

「ほんとうに、いったい何のためにここまで来たんだ」と心の中で思ったが、口には出さなかった。


まあいい。とにかくこれでパリへ帰ることができる。ぼくらは早速、その日の午後、街の外れにあるフランス大使館へ出かけることにした。フランスへの再入国ビザを申請するためだ。



なぜ入国ビザが必要だったのかは、前述したようにパリでの爆破テロが原因だった。ぼくが渡仏した前年の秋時フランスは、3ヶ月以内の滞在であれば観光目的ということで、ビザ無しで入国することができた。ところが、突如始まった連続爆破テロのため、短期滞在であっても「全ての外国人に入国ビザが必要」とする法律が、フランス国会で一夜にして成立してしまったのだ。




ぼくらはビザ申請のため、フランス大使館へ足を運んだ。いろいろと面倒くさい書類に記入し、申請を終えホテルへ戻った。あとはビザ発行の連絡を待つだけだ。



当初、再入国ビザは申請してから23日で発行されると聞いていたので、数日後には連絡が来るだろうと考えていた。しかし、3日経っても4日経っても連絡がない。5日経っても6日経ってもまだ連絡がない。このままだとドイツ滞在資金が底をついてしまうかもしれないと思ったぼくは、「もっと安いホテルへ移ろう」とNに提案した。彼女は最初嫌がったが、ぼくの説得でしぶしぶ承諾し、ボン市内で一番安いホテルを探してそこへ移った。




そして1週間が経ち、10日が経った。しかしまだ大使館から連絡がない。「これはマズイな」と真剣に焦り出したぼくらは、食費の出費を減らすため、食事を11回に抑えるまでになっていた。もうすぐホテル代も払えなくなる…。不安と焦りと空腹のため、気力と体力がどんどん衰えていった。外ではしんしんと雪が降り続け、外気温は零下10℃以下だろうと思われた。



そんなある日、ついに大使館からビザが発行されたという連絡が来た。「助かった!」今度は声に出して叫んだ。


急いで大使館まで行ってビザを受け取った。まさに命のビザだ。ぼくらは、急いで旅支度をし、駅に向かうためホテルを出た。



雪道をゆっくりと歩きボンの駅に向かった。寒さと空腹で思うように体が動かなかったが、なんとか駅に着いた。疲れた。ぼくらは、すぐにパリまでの電車賃を調べた。そして、二人の財布から残ったドイツマルクをかき集めて、パリ行きのチケットを買おうとした。




しかしその瞬間、ぼくの背筋が凍った。またしても最悪の事態が起こった。

万事休すである。




つづく