「このままここで寝たら、凍死するかも…」 本当にそう思った。 

 

「よし、Polizei(ポリツァイ)へ行こう!」 ぼくは駅のホームの端の方にあるステーションポリスへ行き、明かりの灯った交番の中へ、少し遠慮がちに入っていった。

 

狭い部屋の中にいた屈強そうなドイツ人私服警官らしき男たちが、突然入ってきた謎の東洋人に向かって一斉に鋭い視線を向けた。



ぼくは自分を落ち着かせるために一呼吸ついてから、ゆっくりと英語で話しかけた。

「自分は日本人の学生で旅行者です。実は、旅行中に財布を盗まれてしまい、いま一文なしです。ここ数日ほとんど何も食べておらず空腹で、今夜泊まるところもありません。どうしたらいいでしょうか?」



「金を盗られた」と言ったのは、ここで、「実は、いまパリに住んでいて、女と旅に出たのですが・・・、かくかくしかじかこういう訳で、その結果このざまです」 などというお間抜けな話をしてもしょうがない、と思ったからだ。

すると三人のうちの一人が、不審そうな表情で「パスポートを見せろ」と言った。ぼくが差し出したパスポートを確認した三人の男は互いに顔を見合わせると、ドイツ語で何やら相談しはじめた。しばらく話したあと、一人がぼくに向かって言った。 


「本来なら日本領事館へ行ってもらうところだが、あいにく今は金曜の午後7時だ。もう領事館は閉まってしまった。月曜の朝9時まで開かない」

「じゃあ、どうすれば・・・」 とぼくが言いかけたとき、別の男が言った。



「トーマスストラッセへ行け」

トーマスストラッセ? ぼくが首を傾げると、彼は机の上から一枚のメモ用紙をとり、ボールペンでそこに地図のようなものを書きながら、

「そうだ、トーマスストラッセだ。ここへ行けば、寝られる。食べものもある」と答えた。


彼は、トーマスストラッセがいったい如何なる場所なのか、については一言も説明してくれなかったので、一瞬、「そこはどんな所なんだ?」と思ったが、それがどんな場所であろうと、そのときのぼくにとっては、もうどうでもよかった。

 ぼくは彼に向かってすがるように聞き返した。

「そこへ行けば本当に、ただで眠ることができて、食べ物も食べられるんですか?」

 男は大きくうなづいて、「Yes」とだけ答えた。

そして彼は簡単な地図と、「ThomasStrasse」とだけ書かれたその紙切れを手渡しながら、念押しするように言った。

「ただし、月曜の朝9時になったら必ず日本領事館へ行け。いいな。月曜の朝9時だ」

 ぼくは「ダンケ」と礼を言って、ステーションポリスを後にした。



「よし、なんとか助かりそうだ。とにかく、そのトーマスストラッセとやらへ行くのだ。そこへ行けば眠れる。食べものもある」 
ぼくは渡された地図を手に、再び駅を後にし、吹雪の街へと歩き出した。道路にはさらに雪が降り積もり、足取りを重くした。

しばらく歩くと、道に迷ってしまったようだった。当たり前である、なにせその地図には、マル印と「ThomasStrasse」としか書かれていないのだ。途中の目印もなにもない。

 仕方がないので、道行く人に、「すみません、トーマスストラッセはどこですか?」と訊ねた。そしてまた道に迷った。また人に訊ね、また迷った。またしても意識が朦朧としてきた。寒さと疲労と空腹は限界点を超えていた。

 三人目に道を訊ねた若いブロンドの女性に、「警察から、トーマスストラッセへ行けと言われた」と説明すると、彼女は何か合点がいったかのように「トーマスストラッセに行けば、古いレンガ造りの建物があるから、この地図にマル印で書かれているのは、たぶんその建物だと思うわ」と教えてくれた。

 そうか、古いレンガ造りの建物だな。ぼくは再び気力をふり絞って歩いた。彼女の教えてくれた方向へ向かって。そこはもう街のはずれだった。

 すると、突然広い空地のような場所が目の前に広がり、その雪原のようなだだっ広い場所に、ポツンと一つ、煌々と明かりの灯る古いレンガ造りの建物が浮かびあがった。


 ここだ! ここがあの警官が言っていたトーマスストラッセだ!


 ぼくは歓喜に胸を震わせながら、最後の力をふり絞って雪を踏みしめ、目の前の建物を目指して足早に進んでいった。



                          つづく