雪原の中にポツンと一つ、煌々と明かりの灯る古いレンガ造りの建物。そこがいったいどんな場所なのか分らなかったが、ぼくにはその館が砂漠の中でようやく見つけたオアシスのように見えた。ぼくは最後の力をふり絞って、雪を踏みしめながらその建物に向かって歩みを進めた。



館の入り口にたどり着いたとき、ぼくの口からハアハアと吐き出される白い息が窓から漏れる明かりを受けて淡く輝いていた。

ぼくは一つ大きな息をついてから、玄関のドアをノックした。


 しばらくするとドアがゆっくりと開き、初老の男が顔を覗かせた。無言のままこちらを見つめる男に、ぼくは言った。

「ステーションポリスで、ここに行けば泊まらせてもらえると聞いて来たのですが」

すると男はやはり無言のまま、中へ入るよう手招きした。



 館の中は薄暗かったが、高い天井からぶら下がった古ぼけたランプの光が、ぼんやりと白い壁を照らしていた。零下数十度の世界で丸一日過ごしていたぼくにとって、館の中の暖かさは天国のようだった。


 入口を入ってすぐ脇に、ホテルのカウンターのような木造りのデスクがあり、男はデスクの引き出しから何やらノートのようなものを取り出すとそれを広げ、ぼくのほうへ向き直った。

 「名前は?」

 男が訊ねた。

 ぼくが名前を答えると、彼は矢継ぎ早にこう言った。

 「国籍と職業、それから宗教は何だ?」

「日本人の旅行者。学生。 宗教は……」

一瞬考え、最初「Buddhist(仏教徒)」と答えようかとも思ったが、「Pagan(無宗教者)だ」と答えた。無宗教。何の神も信じていない者。無宗教者とは異教徒のことであり、また快楽主義者のことでもあるから、今思えば、その時のぼくにはピッタリの呼び方だったように思う。


 男は顔色一つ変えずにそれらをノートに書き込むと、後ろの棚から何やらゴソゴソ取り出してきて、ぼくに手渡した。それは、きれいに洗濯された白いシーツと、枕と、毛布だった。

男は「ついて来い」と言ってゆっくりと歩きはじめた。長い廊下をわたり階段を昇り、二階に着くとまた長い廊下を進んで、廊下の奥にある部屋の前に着くと、男はぼくに「中へ入れ」と目くばせした。ぼくは男に言われる通り、部屋の中へ入った。


 次の瞬間、たくさんの視線がぼくに向けられたのを感じた。見るとそこには67人の老人たちがベッドに横たわっており、彼らがいっせいにぼくを見つめていたのだった。

ベッドは全部で8つ。パイプ製のベッドが整然と並べられており、部屋の隅の少し高い位置にテレビが一つ置かれていた。テレビのブラウン管にはニュース番組のようなものが映し出されていて、女性アナウンサーが早口のドイツ語で何やらまくし立てていた。

一瞬、「病院の大部屋のようだな」と思ったが、その部屋にはベッドとテレビ以外なにも物らしい物がなかったので、明らかに病室とは雰囲気が異なっていた。



ぼくを案内してくれた男が、一つ空いている一番端のベッドを指さし、「これがお前のベッドだ。ここで寝ろ」と言った。

ぼくはそのベッドに、手にしたシーツを敷き、枕を置き、黒いコートと帽子を雪を払ってから脱ぎ、ベッドに横になった。部屋にいた老人たちは、最初こそ、このいきなり入ってきた謎の東洋人に好奇の目を向けていたが、すぐに何事もなかったようにテレビのニュース番組を観はじめた。



老人たちとは一言も言葉を交わすことなく、ぼくはベッドに横になって彼らに背を向け、少しヒビの入った白い壁を見つめながら、心の中でつぶやいた。

「ああ、やっと寝られる。俺は助かったのだ」

ここがどこだろうが、ここにいる老人たちが何者だろうが、そんなことはどうだっていい。とにかく暖かい室内でゆっくり眠ることができる。そして明日の朝には何か食べものをもらえるのだ。



ぼくは21年間のこれまでの人生で味わったことのない安堵感を覚えながら、ゆっくりと目をとじた。



 つづく