今日で七月も終わりです。
今月十日はあなたの三回目の命日でした。
そこで、いま天国にいるあなたにお手紙を差し上げようと思います。
あなたと会ったのは、たしか八年前でした。
季節は忘れましたが、たしか秋頃だったような気がします。
場所は、新宿歌舞伎町の職安通りに近いところにある、Pというバーでした。
当時その店のマスターKさんと知り合いだった私と私の友人のHは、ある夜、いつものように店のドアを開けました。
マスターに軽く挨拶してカウンターに座り、ビールを飲んでいると、一人の男が上機嫌で威勢のいい声を張り上げて、店の奥にあるステージに立って歌い始めました。
眩いスポットライトを浴びて歌っていたのが、あなたでした。
マスターのKさんとあなたが旧知の仲だということは知っていたので、あまり驚きはしませんでしたが、世間ではかなりの有名人で、テレビでしか観たことのないあなたが、今、私の目の前で歌を歌っているということに、少なからず感動を覚えました。
あなたは、ある有名な若い女優さんと一緒でしたね。
わたしは、美人で背のすらっとしたその女優さんのことは知ってはいましたが、彼女よりも、あなたと出会えたことがとても嬉しく感じられました。
あなたは矢沢永吉の「Somebody’s Night」という曲がお気に入りらしく、何度も繰り返し歌っていましたね。
そのうち、あなたは歌の途中で突然私に向かって手招きし、「おい、おまえもここにきて一緒に歌えよ!」と言いました。
私は少し戸惑いましたが、すぐに席を立ってステージに行き、あなたと一緒に「Somebody’s Night」を熱唱しました。
あなたは私と肩を組んで、それは楽しそうに歌っていました。
歌い終わるとあなたは、「おまえ、なかなか歌うめえじゃねえか! よし、もう一曲一緒にうたおうぜ!」と言って、次の曲を歌い始めました。
その歌が何だったのかは覚えていませんが、私の知らない曲だったので、なんとなく調子を合わせて勢いだけであなたと一緒に歌いました。
私とHも、トランザムの「あゝ青春」(吉田拓郎作曲)という曲を一曲歌いました。
そのうちあなたは歌うのを止めて席に戻ってマスターと談笑していましたが、突然私とHの方を向いて、「おい、おまえらヤクザだろ?」と、からかい半分のように言いました。
その後も時々思い出したように周りの客に、私とHを指さして、「あのさあ、あいつらヤクザなんだよ。なあ、そうだろ」と、まるで子どもがふざけているように、笑いながら言っていましたね。
私とHは、「やめてくださいよー。違いますよー」と笑っていましたが、そう言うとあなたは、ますます大きな声で、「いやあ、おまえらはヤクザだ。間違いない」と繰り返し言うのでした。
確かに二人とも真っ黒なスーツに身をかためており、しかも、当時ある無名の歌手のコンサート(興業)などプロデュース業をしていて、歌舞伎町のこんなディープな店に入り浸っている、と聞けば、あなたでなくても、「こいつらどう見たってカタギじゃないな」と思ったかもしれません。
そうこうしているうちに、あなたは私とHの側にきてこうささやきました。
「なんか飽きちゃったからさあ、どっか他の店に歌いにいこうぜ」
私とHはもちろん、「いいっすよ、行きましょう」と笑いながら答えました。
するとあなたは「Kさん、お会計!」と言って金を払い、さっさと店の外へと出ていってしまいました。
私とHはあなたの後を追いかけるように小走りに店の外へ、歌舞伎町のネオン街へ飛び出して行きました。
あなたは肩で風をきって歩きながら、「よし、どこ行く? おまえらどっかいい店知ってるか?」と訊くので、私たちは、「いや、特に。どこでもいいっすよ」と答えました。
あなたは、「じゃあ赤羽へ行こうぜ。赤羽に俺の行きつけの店があるんだ」と言いました。続けて、あなたはポツリと言いました。「あのよー、俺、いちおう世間ではけっこう有名人なんだけど、おまえら俺のこと知ってる?」と。
私とHがあっけらかんと、「もちろん、知ってますよ」と言うと、あなたはニッコリと笑いながら、「そうかー、てっきりおまえら俺のこと知らねえんじゃないかな、と思ってよ」と言いました。
時間は深夜一時頃だったでしょうか。
私たち三人は、大通りに出てタクシーを拾って乗り込みました。するとあなたはいきなり携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけてこう言いました。
「おう、俺だけどさ。今いつもの店に向かってるから、先に行って、今から言う曲を入れといてくれ。えっと、一曲目は○○、それからー・・・」、あなたは隣に座る私に向かって、「おう、おめえは一曲目、何歌うんだ?」と訊きました。
私が、「えっと、じゃあ沢田研二のカサブランカ・デンディーを」と言うと、あなたはすぐさま電話の向こうの相手に、「二曲目は、沢田研二のカサブランカ・デンディーだ」と伝えました。そして今度はHに向かって、「おめえの一曲目はなんだ?」と訊きました。私とHは矢継ぎ早に、「二曲目はなんだ?」「三曲目はなんだ?」と訊かれ、あなたは合計九曲の歌を電話口の向こうの相手に伝えました。
その後タクシーの中でどんな話をしたかは憶えていませんが、あなたはずっと陽気に話し続けていました。
タクシーが赤羽に着くと、あなたは「おう、ここだここだ」と言って、ある一軒の店を指さしました。
店の看板には大きく「ビッグ・エコー」と書かれていました。
私は、「えっ、わざわざ歌舞伎町から赤羽までタクシー飛ばしてきたのに、ビッグ・エコー?」と少し戸惑いましたが、なんだかあなたらしいなあ、と思いました。
店に入ると、店員がうやうやしく、「お待ちしておりました。こちらでございます」と言って、予約してあった部屋へ案内してくれました。
そこは、畳三十敷以上はあろうかというかなり広いVIPルーム(パーティールーム?)でした。
見ると、部屋の片隅にうら若い女性がポツンと立っていて、軽く会釈をしました。
女性はあなたの愛犬も連れてきていました。
あなたはとても犬が好きだったようですね。
あなたがその女性に、「さっき言った曲、全部入れといたか?」と訊くと、彼女は「はい」とだけ答えて静かに微笑んでいました。
あなたは、「ここが俺がいつも歌いにきてる部屋なんだ」と言って、すぐさま、「さあ、歌おうぜ!」と言って歌い始めました。
私もHも、タクシーの中で予約されていた三曲を熱唱し、それを歌い終わるやいなや、あなたに「どんどん次の曲入れろよ」と言われ、何を歌ったか忘れてしまいましたが、次々とあなたの前で十八番を披露しました。酒もガンガン飲みました。
あなたは一曲歌い終わるごとに、「いいねえー」と言いながら、自分もいろんな曲をとても楽しげに熱唱していました。
それから3、4時間経ったでしょうか。あなたは、「よし、そろそろ帰ろうぜ」と言って、先頭に立って店の外に出ていき、私とHはまたあなたの後を追いかけていきました。
店の外は静かで周囲には人一人いませんでした。
路上であなたは、「いやあ、今日は楽しかったな! また行こうぜ」と言い、私とHは、「今日はありがとうございました。俺らも楽しかったです」と言い、握手をしました。
するとあなたはおもむろにズボンのポケットに手を突っ込み、裸で入れていた一万円札数枚を無造作に掴みだして私とHに、「これ少ないけど、小遣いだ」、と言って手渡そうとしました。
私とHは恐縮して、「いやあ、いいですよ」と言いましたが、あなたは、「いいから取っとけよ。金ならあんだからさあ」と言って、笑顔で我々二人にその万札を握らせました。
私とHは顔を見合わせて苦笑しながら、「じゃあ、遠慮なく頂いときます。あざっす!」と言って受け取りました。
あなたは、「じゃあ、またな!」と手を振ってお供の女性とともに、また肩で風切るように、闇夜に消えていきました。
私とHはまたタクシーに乗って、歌舞伎町のKさんの店へと戻りました。
あなたの勢いに押されて、二人とも持っていたカバンをKさんの店に置いてきてしまったからでした。
次の日、あなたはマスターのところへ電話してこう言ったそうですね。
「昨日はあいつらを無理やり引きずり回して、悪いことしちゃったかなあ・・・。謝っといてくれよ」と。
あなたは私たちのことを、最後まで本当にヤクザだと思っていたみたいですね。
以上であなたと会ったときの思い出話はおしまいです。
しかし、あれが、あなたとの最初で最後の出会いだったとは。
もう一度一緒に飲んで歌いたかったですが、今となっては、まさに一期一会。あの晩の楽しい思い出は、一生私の心から消え去ることはないでしょう。
あなたは生前、こんなことを言っていましたね。
「友達になれる奴って年間五人ぐらいだと思うんだよね。一緒に飲めるっていうのは。そうすると、六十年の人生で三百人しか友達になれないということなんだな。その三百人だけからは「あいつはインチキな奴じゃなかった」と思われたいね。それだけだね。それが俺を支えてるってのがあるね」
私もあなたと友達になれたでしょうか。
あなたはどう思っていたか分かりませんが、あの晩、あの瞬間、確かに私たちとあなたは、地位や立場や年齢や国籍を越えて、友達になった気がします。たいへん不遜なことを申し上げて恐縮ですが、そんな気がします。
そして、実際に会って、話して、飲んで歌ったあなたは、決してインチキな人ではありませんでした。
あなたの生み出した数多くの作品に込められた熱い思いと、あなたという人間の持つ魅力の間にはまったくズレがなかったように思います。
また、あなたの遺書にあった、「思えば恥の多い人生でございました」という言葉は、あなたという人間の本質を表しているなあ、と思ってなりません。
あなたは生前、世間では少なからず“ちょっと怖い人”というイメージがありましたが、実際に会ってみて感じたことは、本当はとても照れ屋な方だったのだと思います。
私も残りの人生を、少しでもあなたのように、自分らしく、真っ直ぐに生き、自分の死後、数人の友達からだけでもいいので、「あいつはちょっといいかげんな男だったけど、決してインチキな奴じゃあなかったね」と言われたいと思っています。
では、いつかまた一緒に歌える日まで。
2013年7月31日
偉大なる天才
つかこうへい さんへ